セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー
その独創性でよく知られる名ジャズ・ピアニストであり作曲家のセロニアス・モンク。これは、彼の姿を描いた優れたドキュメンタリー作品だ。この作品の成功の要因はいろいろあるが、才能あふれる人物が集まったこともひとつだろう。監督には、その編集技術に定評のあるシャーロット・ズウェリン、そして製作総指揮には、ジャズ・ピアニストだった経歴を持つクリント・イーストウッド。貴重な実録映像は、1968年にマイケル&クリスチャン・ブラックウッドによって撮影されたものだ。気分に流されやすいモンクの姿をスタジオ、ツアー、舞台裏でとらえる。奇行とも言える行動の数々は、彼独自のジャズを生み出す原動力でもある。
第二次世界大戦後の米国では、ビ・バップの楽しいノリにマッチする出来事は少なかった。スウィング・ジャズが主流を占める中、ジャズ・ミュージシャンたちから生まれたビ・バップは、主流からはずれた流れであり、スウィングの形式を打ち破るものだった。テンポやメロディも一定でなく、技術を競い合ながら、自由な発想でアドリブを展開する音楽が生み出された。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、バド・パウエルといった音楽家がその代表格だ。モンクは彼らとは違い、予測もつかないメロディや不協和音を作り出す。よく「ビ・バップ界の大司祭」と呼ばれるが、むしろ禅の修行者に近いかもしれない。ワープするかのようなコード進行、「間違った」鍵盤を叩いたかのように聞こえる音階や不協和音、そして俳句を思わせる独特の間(ま)。
『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』は、この孤高で気難しいと称されるアーティストの生涯を振り返る音楽ドキュメンタリー。彼の不安定な行動の数々、テオ・マセロとの激しいスタジオ・セッション。コロンビア・レコードの有名プロデューサーが語るモンクのインスピレーションと、そのアプローチ。インタビューを織り交ぜモンクの快活な一面も描き出し、作品に深みを与えている。何よりも素晴らしいのは、歴史に残る数々の名演奏をカメラがとらえていることだろう。(Sam Sutherland, Amazon.com)
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当の本人は独自で正直なだけ、モンクはモンクのまま
モンクを丁寧に追えばいい、イーストウッドのいつもの熱情を足せば、と期待して見聞きすると、期待以上の出来映え。モンクは、僕の尊敬する人になった。奇人だなんて、とんでもない。芸術で言えば、マルセル・デュシャンらと同じ。真新しすぎて、理解のされ方に戸惑いがあるだけ。当の本人は独自で正直なだけ。 「演奏と作曲、同じ比重だ」と強調する姿から”I love jazz, jazz & jazz.”という想いを僕は受け取ったな。 スタジオ収録の際、テイクを重ねるのを嫌ったのも、モーツァルトと似ていて、きっとできあがっていたのだ、モンクの中では。 モンクはスタジオをうろうろ歩き回る。でも、どんな凡人でも、勉強中に頭はかきむしるもの。また、他のメンバーに細かく指示し続けたり、「何でもいいんだ」とも言ったりもした。「高僧」や「孤高」と誤解される原因はこれだな、という感じ。 されど、モンクの実像は、やれるだけのことをやるぞ、という素直すぎるくらい素直な男ではなかろうか。周囲のメンバーがまるで苛立たなかっていなかったのは、モンクにこそ魅せられていたその証。
モンクは麻薬もやらなかったが、突然、幕切れがくる。「やる気をなくした。僕は病気だ」と宣言して、シーンから消えてしまう。関係者たちが、「才能が枯れたのではないんだ」と証言するのが、感動的。モンクはそううつ、つまり、心の大怪我を抱えたのだ。そうした人々は、古今東西、数百万人はいるではないか。モンクであれども、休むより他はなかろう。 ラスト・シーンは、むろん伏せておきます。昨日も、今日も、明日も、モンクはモンクのままだ、という僕の想いをそっとしのばせて。
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